
出典:Wikipedia (相撲絵(歌川国貞、1860年代))
年に6回行われる国技といえば、大相撲。
だいぶ前ですが、若貴ブームがありました。
当時、おふくろは貴乃花が大好きで、テレビ中継で彼が登場すると、とてもはしゃいで、静かにして!と私が文句を言うほど。
相撲力士の酒量は半端じゃないことはあの体格からそうだろうなぁ、と想像できますが、とてもユニークな伝説を持つ力士が明治時代にいました。
明治時代の酒豪力士

出典:Wikipedia(海山太郎)
その名は二代目「海山太郎」。
明治26年5月の夏場所でのできごと。
東の十両三枚目の海山にとって入幕をかけた大事な一番がひかえていました。
ところが取り組みが近づいても海山の姿が見当たりません。
師匠の友綱親方があちこちを探したところ、向島の女のところにしけ込んでいたのです。
「やっと見つけた!」と安心したのもつかの間、前日から酒十升を飲み干しており、ヘベレケ状態。
まったく起きません。
そこで数人がかりで抱き上げ、人力車に乗せて両国の相撲場へ運び、頭から水を浴びせかけ、一度は目を覚ましたものの、土俵下の控えに座ったとたんコックリコックリとまた寝始める始末。
ところが「東~海山~」と呼び出しの名前を聞いたとたん、パチッ!と目を覚まし、相手の大則戸を倒してしまう。
ところが今度は取り組みが終ると、さらに眠気が出て部屋に戻ってグ~グ~と爆睡。

出典:Wikipedia(明治時代中頃の相撲の様子)
翌日、シラフで目を覚ました海山太郎、「しまった!昨日の取り組み忘れていた!こりゃ破門だ!」と思い、友綱親方に「申し訳ありません!昨日の取り組みを忘れてました!」と土下座をして平謝りをします。
師匠の友綱親方は「は?おまえ何いってるんだ?昨日はちゃんと取り組みをして大則戸を破ったじゃなか」といわれても、海山はポカ~ン。
海山は酒に酔い潰れて相撲を取り、そのことをすっかり忘れていたのです。
これ、実話だそうです。
今回は、大酒呑みの力士のお話しでした。
*写真はすべて、Wikipediaより引用しました。